
なぜ長年続けられるのか。午前2時に起きてジムへ向かう理由を言語化してみた
この記事でわかること 客観的に見れば「続けられない条件」しかない私の生活 「やめていいと言われたらやめるか」という自分への問い 私が言語化した、続けられる4つの理由 客観的に見ると、続けられない条件しかない 今の生活を、正直に書いてみる。 仕事は7時から19時まで。残業が入ることも多い。帰宅するのは20時頃。食事を済ませると、就寝は22時になる。 筋トレの2時間を確保しようと思うと、火曜から金曜は午前2時に起きるしかない。土曜は1時、日曜は4時。月曜だけは休養日にしている。ジムまでは徒歩30分。始発電車の中で30分ほど仮眠を取るが、何度も目が覚めてしまい、深い眠りにはならない。 金曜日は特にひどい。一週間の疲れが溜まっているせいか、帰りの電車で寝過ごしそうになるほど眠くなる日もある。乗り過ごして、慌てて次の駅で降りたことも一度や二度ではない。 始発電車での仮眠も、決して質の良いものではない。座席に座った瞬間に眠りに落ちるが、駅に着くたびに車内アナウンスで目が覚める。そのたびにまた眠りに戻ろうとするが、完全に深い眠りに入る前に次の駅が来る。そんな浅い眠りを繰り返しているだけだ。 これだけ条件が揃っていれば、普通はやめる。そう思う。でも私は、やめていない。 「やめていいと言われたら、やめるか」 ある朝、ふと自分に問いかけてみた。 「もし誰かに、もう筋トレをやめていいと言われたら、やめるだろうか」 答えは、考える間もなく出た。やめない。 この問いと答えが、今回「なぜ続けられるのか」を言語化してみようと思ったきっかけだ。 理由1:ジムへ向かう時間が、自分だけの時間 7時から19時までは、会社のために動く時間だ。帰宅してからは、食事と睡眠でほとんど埋まってしまう。 そう考えると、午前2時から始発電車に乗るまでの時間だけが、誰にも邪魔されない自分のための時間になる。 「筋トレをしている」というより、**「自分を取り戻す時間として、この時間を選んでいる」**という感覚の方が近い。 福島県いわき市から埼玉県川越市へ引っ越し、勤務先も変わり、生活環境は大きく変わった。それでも、この時間だけは変わらず自分のものだった。 理由2:「今朝もできた」が、一日の土台になる 睡眠が削られていても、仕事がハードな日でも、「今朝もジムへ行けた」という事実だけは変わらない。 この小さな達成感が積み重なって、一日の自己肯定感になっている気がする。体型や筋力といった結果よりも、「今日も続けた」というプロセスそのものが、自分にとっての報酬になっている。 正直に言えば、体型が劇的に変わったわけでも、数字上の筋力が飛躍的に伸びたわけでもない。それでも続けているのは、結果を求めているのではなく、「今日もやり切った」という感覚そのものが欲しいからなのだと思う。仕事でどれだけうまくいかない日があっても、朝の2時間だけは、自分の力でやり遂げたと言い切れる。 続けるためには追い込まないことも重要だと気づいたのも、この積み重ねを大事にするようになってからだった。中負荷で筋肉痛を残さずに続ける方法にたどり着いたのは、結果ではなくプロセスを守りたかったからだと思う。その考え方はこの記事に詳しく書いた。 理由3:続けるかどうかを、もう判断していない 「今日は行くべきか、休むべきか」——毎回そう考えていたら、きっと続かなかったと思う。 今の私にとって、起きてジムへ向かうことは、判断の対象ですらない。呼吸をするのと同じレベルの行為になっている。 午前2時に目が覚めたとき、つらいとは思わない。「さあ、行くぞ」という気持ちしかない。これは意志の強さというより、考える余地をなくした結果なのだと思っている。 「今日は疲れているから休もうか」という選択肢が、そもそも頭に浮かばない。浮かんでしまえば、そこで迷いが生まれ、迷いは続けることを難しくする。だから最初から、その選択肢自体を持たないようにしている——というより、長年続けるうちに、自然とそうなっていた。 もちろん、それでも続けられない時期はあった。ジムに行けない時期にどうモチベーションを保っていたかは、別の記事に書いた。 理由4:休む日も、自分が選んでいる 月曜日は休養日として、完全に割り切っている。 すっきりと休めるのは、「やむを得ず休む」のではなく、**「今日は休むと決めている」**からだ。強制されているのではなく、自分で選んだ休養日。この感覚は、強制されていない人だけが持てるものだと思う。 月曜日の朝、いつもより長く眠れることに罪悪感はない。むしろ、次の火曜からまた午前2時に起きるための準備だと捉えている。休むことも、続けるための一部だ。 今朝も、午前2時に目が覚めた 続けている理由を人に説明するのは、正直言って難しい。 でも、「やめていいと言われてもやめない」という事実が、私にとっての答えなのだと思う。 今朝も午前2時に目が覚めた。さあ、行くぞ。








