この記事でわかること

  • 筋力トレーニングと肌の若々しさに関する研究の中身
  • 真皮が薄くなる仕組みと、筋トレが与える影響
  • 「見た目のためではなかった」筆者が気づいたこと

「顔、若いですね」と言われて、正直戸惑った

50歳になってから、職場の同年代に「顔が若いですね」「肌がきれいですね」と言われることが、ぽつぽつと増えた。

正直、戸惑った。見た目は、これまで一度も気にしてこなかったからだ。

私が筋トレやウォーキングを続けてきたのは、健康を維持するためであり、認知機能や転倒予防のためだった。週4〜6日ジムに通う生活も、鏡に映る自分をよく見せたいという発想からは、まったく生まれていない。

それなのに、なぜ若く見えるのか。気になって、少し調べてみることにした。

最初に頭をよぎったのは、単なるお世辞だろうということだった。同年代のあいさつ代わりの言葉として、深く考える必要はないのかもしれない。それでも、複数の人から似たようなことを言われると、何か理由があるのではないかと気になってしまう。「もしかして、筋トレを続けていることと関係があるのだろうか」——そんな仮説が、頭の片隅に浮かんだ。


調べたら、大学の研究があった

行き着いたのは、立命館大学スポーツ健康科学部の藤田聡教授らの研究チームが、ポーラ化成工業と共同で行った研究だった。2023年、米科学雑誌「Scientific Reports」に掲載され、筋力トレーニングが美肌に貢献する可能性を世界で初めて報告した研究として紹介されていた。

研究の対象は、40〜50代の女性61名。4ヶ月間、週2回の運動介入を行った結果が報告されている。

  • 有酸素運動・筋力トレーニングの両方が、皮膚の弾力性と真皮構造を改善した
  • 特に筋力トレーニングは、加齢によって薄くなる「真皮の厚み」まで改善した

対象は女性だったが、研究チームは筋トレが持つ効果として位置づけている。私のような50代男性にも、同様の効果が期待されると考えてよさそうだ。


仕組みをかみ砕くと

研究では、次のようなメカニズムが示されている。

真皮とは、肌の弾力やハリを支える皮膚の中間層のことだ。コラーゲンやヒアルロン酸が含まれており、加齢とともにこの層が薄くなることで、シワやたるみが生じやすくなるとされている。

筋力トレーニングを行うと、血中の炎症性ケモカイン(CCL28・CXCL4)が減少し、真皮の材料となる細胞外基質「バイグリカン」が増加する。その結果、真皮が厚くなり、見た目の若々しさにつながる可能性がある——という流れだ。

つまり、筋トレは筋肉だけでなく、皮膚の内側にもアンチエイジング効果をもたらす可能性があると示唆されている。断言できるものではないが、体の中で起きている変化を知ると、妙に納得できるものがあった。

これまで筋トレの効果というと、筋力や体力、あるいは血糖値や血圧といった数値の話が中心だと思っていた。まさか皮膚の構造にまで影響が及んでいる可能性があるとは、考えたこともなかった。体は一つにつながっていて、鍛えている部位以外にも、思わぬところに変化が波及しているのかもしれない。


「見た目のため」ではなかったのに

ここが、今回一番書きたかったことだ。

そもそも私が筋トレを続けてきた理由は、健康を守ること、認知機能を維持すること、転倒を予防することだった。見た目を目的にしたことは、一度もない。

それでも、長年続けてきた結果として、「若く見える」という副産物がついてきた。狙っていなかったものが、後からついてきたという事実。これが、筋トレを続けることの価値を、改めて教えてくれた気がする。

健康のために積み重ねてきた時間が、思ってもみなかった形で報われる——そういうことも、あるのだと知った。

もし最初から「若く見られたいから」という理由で始めていたら、ここまで長く続けられていたかどうかはわからない。見た目の変化は、日々の中では実感しにくいものだ。健康・認知機能・転倒予防という、もっと切実な理由があったからこそ、地道に続けてこられたのだと思う。結果として見た目にも良い影響があったのなら、それは続けてきたことへのご褒美のようなものだ。


続ける理由が、また一つ増えた

健康・認知機能・転倒予防という理由に、「見た目の若々しさの維持」という理由が新しく加わった。

研究チームは「筋トレはいくつになっても遅くない」というメッセージも発信している。中負荷で無理なく、長く続けることが大切だという考え方は、私自身が実践している方法とも重なる。

同年代で筋トレをしていない人に、「始めるべきだ」と言うつもりはない。ただ、今からでも遅くないという話は、素直に伝えたいと思う。


続けてきてよかった

健康のために始めた筋トレが、脳を守り、骨を守り、そして肌まで守っていたのかもしれない。

続けてきてよかったと、素直に思う。